大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所岡山支部 昭和63年(ラ)19号 決定

抗告人 三国アヤ子

主文

原審判を取り消す。

抗告人の氏「三国」を「谷川」と変更することを許可する。

理由

一  抗告人は「原審判を取り消し、本件を岡山家庭裁判所に差し戻す。」との裁判を求め、その理由とするところは「抗告人は、朝鮮籍夫の通氏「谷川」を公的に使用することができないため、日常生活において多大な不便を被つており改氏の正当事由がある。日本人の場合、婚姻により夫の氏を称するのが通例であり、抗告人の夫は日常生活においてすべて「谷川」姓を用いているのであるから、抗告人の改氏も許されるべきである。抗告人が夫の通氏を使用してきた期間が比較的短いのは、同居、婚姻期間そのものに対応した結果であり当然のことである。」というにある。

二  当裁判所の判断

本件記録中の証拠資料並びに当審における抗告人及び谷川一郎こと朴寛甲各審尋の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

1  抗告人は、広田光雄と、昭和48年3月婚姻し、同49年2月7日長女智江が出生したが、同52年1月10日、智江の親権者を抗告人と定めて離婚した。

2  抗告人は、昭和57年2月頃から○○において国籍朝鮮朴寛甲(西暦1946年12月28日生、通称谷川太郎)と同居生活を始め、昭和60年3月、○○市に転居し、同62年6月5日、同人と婚姻した。両名の間には長女佐千子(同58年8月10日生)及び長男保夫(同60年6月8日生)が出生し、いずれも日本国籍を取得し、抗告人の戸籍に同籍している。

3  抗告人の夫朴は、○○県において、谷川姓を通称していた両親の間に生まれ、以来、日常生活においては谷川姓を継続して使用してきたものである(外国人登録法による氏名登録も本名に「谷川太郎」の通称を付して登録されている。)。

4  抗告人は、夫と同居を始めた昭和57年2月頃から、健康保険等の公的な面を除いた日常生活においてはすべて谷川姓を用いており、子らも同じく谷川姓を通称している(但し、前夫との間の長女智江は現在「三国」姓で中学校に通学しているが、高校入学までには「谷川」姓を称することができるようになりたいと希望している。)。

そこで、本件氏の変更につき戸籍法107条1項所定の「やむを得ない事由」があるかどうかについて検討するに、前記認定事実からすると、抗告人が谷川姓を通氏として用いてきた期間は、およそ6年9か月(婚姻後は約1年5月)ほどで、それ自体は未だ永年使用といえるものではないかも知れない。しかしながら、渉外婚姻においても、夫婦としての社会生活を営むうえで、その呼称上の氏を同一にする必要性があり、婚姻により氏の変更が生じない制度下の外国人との婚姻の場合でも、日本における生活上その必要性に変りのないことは、昭和59年法律45号による改正後の戸籍法107条2項の趣旨とするところでもある。そして、在日朝鮮人等が日常生活において本来の氏以外に日本人的氏を通称することは広く行われているところであつて、それらの通氏は本来の氏に準ずる社会的実態を有しているということができる。本件の場合も、谷川姓は国籍朝鮮の夫の通氏として社会的に完全に定着したものであり、これが将来において変動するとはにわかに考え難いところであつて、本来の氏に準ずるものということができる。そして、抗告人及び子らが夫とともに今後も家族の通氏として谷川姓を永年使用するであろうことは客観的な事実として肯定することができるのであつて、抗告人及び子らの戸籍上の氏と抗告人の夫の通氏が異なることにより、現在及び将来において抗告人らが日常の社会生活上被る不都合は容易に想像できるところである。

以上説示したところを総合すれば、抗告人の「谷川」への氏変更については、永年使用といえる期間が経過する以前であつても、戸籍法107条1項所定の「やむを得ない事由」があると解するのが相当であつて、そのように解しても氏制度を乱すものではないから、本件改氏申立ては、これを認容すべきである。

三  よつて、家事審判規則19条2項により原審判を取り消し、当裁判所において審判に代わる裁判をすることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高山健三 裁判官 相良甲子 彦廣田聰)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例